一般に都市の改造は、それが大きな都市であればあるほど時間をかけざるを得ないものです。ところが、それを一気に加速させるイベントがあります。その代表とも言えるのがオリンピック。1964年のオリンピックは東京をどう変えたか、そして、2020年のオリンピックはこの街をどんな街にしていくのかを考えます。
首都改造を短期で、劇的に、オリンピックに込められた復興への願い
1959年(昭和34年)のオリンピック開催が正式決定される直前、東京では都知事選挙が行われています。そこで当選したのはIOC委員の経験もある東龍太郎(あずまりゅうたろう)。彼はオリンピックについてこう語っています。
「もとより、東京の改造は、2年や3年でやりとげられる程なまやさしくはない。しかし、その突破口をいま開かねばならないのなら、劇的なオリンピックの開催をきっかけに、劇的な東京の再生の第一歩を進めたいと私は思うのである」(『オリンピック』わせだ書房より)。
都だけではなく、国もまた、戦争の痛手から立ち直り、先進国の仲間入りをするにはオリンピック開催とその成功が必須と考えていました。オリンピック開催前年の経済白書のタイトルは「先進国への道」でしたが、その言葉が表すとおり、オリンピックを契機に我が国を飛躍させたいという強い意思が読み取れます。
準備期間5年で現在の東京のインフラが整備
1959年5月の開催決定から1964年10月の開催までは約5年。この間、東京は大きく変わります。国家予算が約3兆3000億円という時代に、大会経費として投じられたのは約1兆800億円で、このうち、大会の直接経費は300億円弱だけ。残りの約1兆円は東海道新幹線建設(3800億円)、地下鉄整備(1900億円)、道路整備(1750億円)など、都市の基盤を整備するために使われていますから、現在の東京のインフラの多くはこの時期に基礎が作られたと言ってもいいのです。
具体的にこの時に作られたものとしては首都高速では羽田空港と都心を結ぶ1号線、都心と神宮外苑の本会場、代々木の選手村、NHK放送センターを結ぶ4号線、地下鉄では以前から工事が進んでいた丸ノ内線、開催が決まってから着工した日比谷線が全面開通、東京モノレールも開催直前に開通しています。道路ではそれまで工事が遅延していた環状七号線を始め、国道246号の赤坂見附から拡幅などが主なところです。
オリンピックを機に変わった街、発展した街
前回のオリンピックでメイン会場となったのは代々木・神宮エリアと世田谷の駒沢エリアです。そのうち、代々木会場は戦後GHQによって接収された92万4000平米にも及ぶ広大な土地で、これがオリンピックを機に返還され、その後公園になったことで、都心には広大な森林が登場します。都内の公園面積は代々木公園の誕生で20パーセント近く上がったとも言われており、景観、周辺の住環境に今も大きな影響を及ぼしています。駒沢エリアも同様で、この2エリアの人気の一因には広大な緑の存在がありますが、それはいずれもオリンピックの遺産。約50年前のイベントが現在に良好な住環境をもたらしてくれているのです。
1970年代以降の表参道、渋谷の発展もオリンピックがもたらしたもののひとつ。国道246号の拡幅、宇田川の暗渠化、街の区画整備などが文部省唱歌「春の小川」の舞台とも言われる渋谷の農村風景を変え、近代的な商業エリアに変えるきっかけとなったのです。また、オリンピック以降も続いた首都の改造が現在の東京を今の姿にしたことは異論のないところでしょう。
暮らしも激変、豊かさとは何かを考えた住宅が登場
オリンピックはまた、私たちの暮らしも大きく変えました。開催が決まった当時、東京ではホテル不足が指摘されており、この時期にはホテルニューオータニを皮切りにパレスホテル、ホテルオークラなど、現在の東京を代表するようなホテルが次々に開業しています。グローバル・スタンダードを目指したこれらのホテルの、これまでにない広い空間、充実した設備は間接的ではあるものの、豊かな空間とはどのようなものかを私たちに教えてくれたと言えます。
住宅にもオリンピックの影響は色濃く残されています。東京オリンピック前後に登場したマンションの多くは、現在もヴィンテージマンションとして、築年とは別の価値を保ち続けているのです。たとえば、物件名に初めてマンションという言葉を冠したことで知られる青山第一マンションズ(1960年築、2003年青山タワープレイス(オフィス棟)/青山第一マンションズとして建替) 、日本初のデザイナーズマンション、ビラ・ビアンカ(1964年)、充実した設備とホテル並みの快適さを誇るコープ・オリンピア、その後に続くシリーズの多くがヴィンテージとされるホーマットシリーズの第一号ホーマット・インペリアル(いずれも1965年)、そして代官山の代名詞とも言える代官山ヒルサイドテラス(1967年)などなど。質より量が優先された当時の住宅事情の中にあって、これだけの物件が供給され、そしてそれらの輝きが今も褪せていないことを考えると、オリンピックの残したものの大きさを考えずにはいられません。
2020年のオリンピックは東京をどう変えるか
では、次に東京で開催されるオリンピックは首都にどのような影響を及ぼすのでしょう。まず、地域の発展という意味では、競技会場として利用される地域に大きな変化があるはずです。
今回のオリンピックでは前回のオリンピックの舞台となった代々木・神宮前エリアを中心に7つの競技場があるヘリテッジ(遺産)ゾーンと、お台場、夢の島、大井などを中心とする東京ベイゾーン、大きく分けて2つのエリアが会場となります。近代五種の会場となる武蔵野の森総合スポーツ施設、射撃の会場となる自衛隊朝霞訓練場などいくつかの例外を除くと、ほぼすべての会場が半径8キロ圏に位置しており、都心型のオリンピックと言えます。
このうち、前者はすでに開発された街が中心となっており、変化の余地はさほどありません。しかし、後者については新しい競技会場の建設が複数予定されており、オリンピック後は体育施設、公園などとして恒久的に使われることになっています。前回の例から考えると、こうした整備がベイサイドエリアの価値上昇に大きく寄与することは間違いありません。
現時点で施設建設が予定されている場所としては有明、若洲、晴海ふ頭、夢の島、辰巳、大井、海の森(中央防波堤内の埋立地)など。いずれも水と緑がテーマとなっており、訪れる選手、観客に競技のみならず、眺望をも見せてくれるロケーション。後日、それらが多くの人に開放されるとなれば、住環境としての魅力も増すというものです。
それ以外で期待できることとしては、公共施設・交通機関・スポーツ施設といったインフラのバリアフリー化や各種防災機能の向上などがあり、過去のオリンピックほど大きな変革は期待できないものの、より住みやすい都市づくりが図られるはずです。また、大会を通して東日本大震災からの復興が着実に進んでいることや各種の先端技術やもてなしの心などが伝わることによる経済その他への効果も期待できます。景気の気は気分の気とはよく言われること。今回のオリンピックが、昨今の様々な閉塞感を吹き飛ばす起爆剤となることを期待したいものです。
取材物件
【取材物件】フレンシア外苑西、青山第一マンションズ、コープオリンピア