1997、98年くらいから一般化し始めたデザイナーズマンションなる言葉。いまや、賃貸の枠を超えて、分譲マンション、一戸建てにまで使われるようになっていますが、その定義はいまひとつ不明確。そこで、ここではTokyoRent的デザイナーズマンションとは何かを明確にしてみようと思います。
建築家のこだわりが形になった住まい、それがデザイナーズマンション
デザイナーズマンションと聞くと、コンクリート打ちっ放しの壁にフローリングの床とらせん階段といったイメージを抱く方も多いかもしれません。しかし、デザイナーズマンションという言葉は、そうした見た目を指しているわけではありません。
1998年当時、今、私たちがデザイナーズマンションと呼んでいるような物件が登場し始めた頃、雑誌を始めとするマスコミでは、デザインマンションとデザイナーズマンションという言葉が混在していました。どちらを使うべきか、議論をしたのを覚えています。その結果、デザイナーズという言葉が残ったのは、建物はすべからくデザインされる、だからデザインというだけでは不足、それ以上に作り手である建築家、デザイナーの意図やこだわりが反映されたものを評価しようではないか、そんな思いからです。
つまり、デザイナーズマンションとは、効率や採算から作られた住まいではなく、どのような人に、どのような住まいをという、建築家の意図が明確に反映された住まいという意味。コンクリート打ちっ放しであればいいというものではないのです。
たとえば、日本を代表する建築家の一人、安藤忠雄さんが手がけた表参道ヒルズゼルコバテラス。室内はコンクリート打ちっ放しではありませんし、間取り図を見ただけでは、どこが他と違うのかは分かりません。しかし、現地に行って、部屋から外を眺めると、安藤さんは、この場所、つまり表参道に住むということをデザインしたということが分かります。額縁のようにとられた大きな窓は表参道の象徴であるケヤキ並木を取り込み、室内にはここにしかない風景があります。無機質なコンクリートの向こうに、新緑の、紅葉の、雨に濡れるケヤキのある眺めは、安藤さんのイメージする表参道での暮らし。建築家の思いは明確です。
TokyoRent的デザイナーズマンションの条件(1)住みやすさへのこだわり
建築家のこだわりや思いのこもった、美しく暮らせる空間であることに加え、住まいの基本、住みやすさへのこだわりも必要です。最低限、必要なのは収納と設備。かつてのデザイナーズマンションには収納がほとんどない、コーヒーカップしか洗えないなどという、使いにくいものもありましたが、今は論外。特に都心部の物件であれば、セキュリティも含め、最新設備が導入されていることを標準と考えたいものです。
また、家事や生活の動線、ユニバーサルデザインなど、使いやすさへの配慮も求めたいところ。機械や各種の工業製品同様、使いやすい、高機能なものは、美しくもあるはずなのです。
TokyoRent的デザイナーズマンションの条件(2)空間の豊かさへのこだわり
建築とは、空間をデザインするものですが、デザインするためには一定以上のボリュームのある空間が必要です。住居でいえば、まず、専有面積が挙げられますが、もちろん単に広ければいいというだけではありません。天井の高さや窓の大きさなど、空間を豊かにする要素はさまざま。専有面積で言えば、一人暮らしでも30㎡ほどは欲しいものですが、そこまでの広さがなくても、他の要素を加えることで、空間は演出できます。
また、そこにしかない空間が作りだされていることも大事なポイントです。前出の表参道ヒルズゼルコバテラスのように、その場を生かすデザインは基本中の基本。さらに、高層階ならではの眺望を生かしたビューバスや屋上テラスのような要素も挙げられます。
TokyoRent的デザイナーズマンションの条件(3)上質へのこだわり
どんなにすばらしいデザインの、ゆったりした部屋でも室内の内装や仕上げがチープでは、豊かな気持ちにはなれません。特に気にしたいのは床、壁、ドアなど、室内で大きな面積を占める部分。ぺらぺらのフローリングや、薄っぺらな音を立てるドアでは落ちつけません。
また、くつろぎの場である、水まわりに上質な素材が使われていることも大事。その意識がシャワーヘッドや蛇口といった細かいものにまで満ちている物件なら、美しさと使い勝手が両立しているはずです。
デザイナーズマンションと聞くと、見た目に関心がいきがちですが、それでは住まいの本質を見失います。工芸品や美術品であれば、そこに機能は求められません。飾って美しければ、それでいいのです。しかし、住まいは、その中で営まれる暮らしのためにあるもの。美しいだけではなく、そこに住む人の暮らしをさまざまな面から支えるものでなくてはなりません。本当の意味でのデザイナーズマンションとは、その両立がなされている物件。ここでは、そう定義付けたいと思います。