【渋谷区】歴史

明治時代から日本有数の人口。
交通の利便性に加え、独自のカルチャーで
若い人たちに愛されるまちに

渋谷駅 / 1979(昭和54)年
(引用:渋谷区デジタルアーカイブ
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明治時代には「武蔵野」から人口急増地域へ

縄文時代から人が住んできた場所ではあるものの、明治以前の渋谷周辺は低地の水田地帯には農家、丘の上には武家屋敷が点在する江戸郊外の典型的な農村地帯だったと言われています。明治時代に入ってもそれは変わらず、小説家国木田独歩が描いた「武蔵野」の風景が残されていました。

それが変わり始めたのは1904(明治37)年に開戦した日露戦争の頃から。

1889(明治22)年に市町村制が施行され、現在の渋谷区を構成する渋谷村、代々幡村、千駄ヶ谷村が誕生しました。

首都圏で人口が郊外に移動するきっかけとなったのは1923(大正12)年の関東大震災ですが、渋谷村、千駄ヶ谷村ではそれよりも20年ほど前から人口増が始まっていました。その理由としては1887(明治20)年前後から青山、駒場、駒沢などに練兵場、軍事施設が相次いで設置されていたことが挙げられます。

たくさんの軍事関係者が周辺に集まってきており、それが両村の人口増に繋がったのです。その結果、千駄ヶ谷村は1907(明治40)年に、渋谷村は1909(明治42)年にそれぞれ村から町になっています。

国木田独歩
(引用:国立国会図書館

そのうちでも渋谷町の発展は目覚ましいものがあったと國學院大學文学部の手塚雄太准教授は國學院大學メディアで書いています。

1923(昭和元)年の渋谷村の人口は約11万人まで増加しており、当時の東京府下では随一の人口でした。しかも、この人口は当時全国101市のうち、19位の八幡市(現在の北九州市の一部)と20位の新潟市の間に位置するほど。村と言いながら、地方の市以上の人口が集中していたのです。

5路線が続々誕生、利便性が都市化を推進

軍事施設以外で渋谷の発展を支えたのは交通です。1885(明治18)年に最初の渋谷駅が現在より南側に開業。次いで1907(明治40)年に玉川電気鉄道玉川線(のちの東急多摩川線、現東急田園都市線)、1927(昭和2)年に東京横浜電鉄(現東急東横線)、1933(昭和8)年に帝都電鉄渋谷線(現京王井の頭線)、1938(昭和13)年に東京高速鉄道(現東京メトロ銀座線)と次々に都心へ、郊外へ伸びる路線が誕生。

関東大震災後、郊外に伸びる路線沿線には特に多くの人が移り住み、渋谷は交通の結節点として大きな役割を担うようになってきたのです。

鉄道駅の周辺には駅ビルその他の商業施設も作られました。そして戦後の復興もまた渋谷駅から道玄坂を中心に始まっています。

渋谷駅 / 1968(昭和43)年
渋谷駅 / 1968(昭和43)年
(引用:渋谷区デジタルアーカイブ

昭和40年代、渋谷カルチャーがまちの個性に

商業施設のうちでも特筆すべきは1973(昭和48)年に開業した渋谷パルコの存在でしょう。渋谷で昭和30年頃から高層ビルが増え、1964(昭和39)年のオリンピックでは国道246号など道路の拡幅や新設が相次ぎ、風景は変化し始めていましたが、他のまちと異なる大きな特徴があったわけではありません。

そこに劇場や出版社を持ち、独自の広告、まち作り戦略を進めるニューカマーが登場。渋谷パルコは渋谷カルチャーの代名詞的な存在となり、渋谷が現在のような若者のまちとして成長する原動力となったと言われています。

渋谷パルコ / 1973(昭和48)年
(引用:渋谷パルコ

地形的なハンディを埋めようと再開発

その一方で渋谷は地名の通り、谷に立地。新宿や池袋のように周囲に拡大する余地がない場所でした。それを打破、広域渋谷圏を作ろうと始まったのが、現在、渋谷駅周辺で行われている大規模な再開発です。2012(平成24)年の渋谷ヒカリエに始まり、渋谷駅周辺には続々と高層ビルが誕生。それを受けて駅から離れたエリアでも再開発が進んでいます。

(左)渋谷ヒカリエ / 2012年
(右)渋谷スクランブルスクエア / 第Ⅰ期2019年
渋谷109 / 1979年
※2019年にロゴを変更
渋谷キャスト / 2017年
渋谷ストリーム / 2018年
渋谷ソラスタ / 2019年
渋谷フクラス / 2019年
(左)セルリアンタワー / 2001年
(右)渋谷マークシティ / 2000年
渋谷パルコ / 2019年
MIYASHITA PARK / 2020年
Shibuya Sakura Stage / 2023年
渋谷アクシュ / 2024年予定
(引用:東急株式会社
渋谷スクランブルスクエア / 第Ⅱ期2027年予定
(引用:東急株式会社
Shibuya Upper West Project / 2027年予定
(引用:東急株式会社
渋谷二丁目西地区 / 2029年予定
(引用:東京建物株式会社

歴史ある住宅地も区内には多数点在

渋谷、神宮前など繁華街が目立つ渋谷ですが、渋谷駅周辺以外のエリアでは明治期から宅地開発が進められた歴史もあります。古いところでは、明治時代の元勲・木戸孝允や徳川家の屋敷のあった代々木上原界隈。1920年代から宅地化が始まっており、今も当時の面影のある住宅が点在しています。

同様に松濤や神山町、南平台ももともとは華族、実業家などの屋敷があった土地で今も広壮な住宅が閑静な環境の中に佇んでいます。

集合住宅でヴィンテージといえば必ず想起される広尾ガーデンヒルズは1987(昭和62)年に全体が竣工。時間を経ていまも選ばれ続けています。

広尾ガーデンヒルズ

渋谷の高級賃貸の歴史

1885
渋谷駅が開業
1927
同潤会青山アパートが竣工

日本最初期の集合住宅

1932
渋谷町、代々幡町、千駄ヶ谷町が統合されて渋谷区が誕生
1955
代官山東急アパートが竣工

日本初の外国人向け高級賃貸住宅

1987
広尾ガーデンヒルズが竣工
1994
恵比寿ガーデンプレイスが竣工
2006
表参道ヒルズが同潤会青山アパート跡地に竣工
2023
フォレストゲート代官山が代官山東急アパート跡地に竣工
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