【麻布十番】地名で読む街の歴史 #01

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国際色豊かなグルメと歴史の街

大江戸線開通で一気に足回りが便利になり、注目度がアップした街、麻布十番。江戸時代からすでに蕎麦や豆菓子など、おいしい食べ物で有名だったこの街は、今もその伝統を受け継ぎ、新旧、和洋を問わず名だたる飲食店が軒を連ねています。また、周辺に大使館が多いことから、インターナショナルな雰囲気もあり、その微妙なバランスが独特の雰囲気を醸し出している街でもあります。

さて、この地域の地名は江戸時代、大正、昭和とそれぞれの時代に大きく変化してきました。旧地名のほとんどは六本木、麻布十番、麻布台などに吸収され、往時の名称が残るのは、橋や交差点、お稲荷さん名など、ごくわずか。また、古川(渋谷区内は渋谷川)が中心を流れていることもあり、坂、しかも急坂が多いのが特徴。その坂の名まえからは、賑やかな今の景色とは異なる、鄙びた、自然に満ちた風情が漂ってきます。

麻布十番周辺マップ

麻布・麻布十番

麻布とは読んで字の如く、もともとは麻の布を産したことによる地名。麻布山善福寺の言い伝えによると、この地には昔麻が降ったことがあり、それを麻布留山(あさふるやま)といったのを略して麻布山としたのが地名になったとも。浅く草の生えている土地だったので浅生、変じて麻布となったという説もあります。現行の麻布の地名は元禄年間にはすでに確認されていますから、かなり古い地名のようです。

これに比べると麻布十番のいわれは新しく、元禄年間に犬公方と呼ばれた徳川綱吉が白金に別邸を建てるにあたり、川を浚渫する人足が集めらましたが、その時、この地域の人足が十番目の組に属していたため、俗称になったと伝えられています。ですから、麻布十番はあっても、九番や八番はありません。

この地域には元々東鳥居坂町、鳥居坂町、宮村町、宮下町など10余の町がありましたが、昭和40年から昭和50年の住居表示変更で大半が姿を消し、今、旧町名を残すのは麻布狸穴町、麻布永坂町だけになっています。

都内では浅草寺に次ぐ真宗の名刹、麻布山善福寺境内にある大銀杏。貞永元年(1232)、親鸞上人が京都への旅の途中に立ち寄った記念に、持っていた杖を地にさしたところ枝葉が繁茂したという言い伝えがあります。樹齢は約700年。都内最古の銀杏として国の天然記念物に指定されています。ちなみに二位は、雑司ヶ谷の鬼子母神前にあります。ちなみにこの逆さ銀杏は現存する唯一の麻布七不思議。

赤羽橋

江戸時代の初めまでは、この地には赤羽川が流れていました。この赤羽の名は川の周囲に土器職人が多く住んでいたため、赤埴(あかはに。赤い素焼きの人形、焼き物)が転じたものと港区史は伝えています。ちなみに、明暦年間、このあたりは久留米藩有馬家の上屋敷となりましたが、現在、日本橋にある水天宮は明治5年に移転するまで、この有馬家邸内にあり、当時から安産の神様として有名でした。

麻布狸穴町

谷に臨むこの土地は江戸時代、木立が繁茂し、往来も少なく、昼なお暗い状態だったとか。そこで人をたぶらかす魔魅(まみ。魔物、魑魅魍魎の輩)が出るといわれ、それが転じて狸穴となったといわれています。ロシア大使館右手から麻布方面に下ってくる急坂は狸穴坂と言われ、往時、難路とされたことを伺わせます。

麻布永坂町

こちらの町名の由来は至って簡単。街の北に長い坂があったことから来ています。今もこの地にある蕎麦屋は江戸時代から有名で、かの大田蜀山人も食べたとか。また、正岡子規もここで一句。

蕎麦屋出て永坂上がる寒さかな(子規)

飯倉片町

飯倉は穀物を保存する倉ということから名づけられ、大化の改新の頃にはすでにそう呼ばれていたとも言われています。片町は、現在の外苑東通りの南側斜面にだけ町が開けていたため。現在、町名としては消失、かつてあった飯倉小学校、幼稚園もすでになく、地名を残すのは交差点名だけになっています。

仙台坂

松平陸奥守家の下屋敷に沿って坂があったため、こう呼ばれるようになりました。現在は坂の途中に韓国大使館があり、警備の非常に厳しいところです。

けやき坂

六本木ヒルズ再開発によって作られた新しい坂ながら、現在はこの地で最も有名。元々は坂の下が麻布北日ヶ窪町、坂の上が麻布桜田町でしたが、すでにこれらの地名はなくなり、現在は六本木六丁目。旧地名を残すのは坂の上、交差点のすぐ脇に残る桜田神社だけになっています。

鳥居坂

六本木から麻布十番に向けて下る急坂。地名の由来には、かつてここに氷川神社の二の鳥居があったというもの、江戸時代に坂の上に鳥居丹波守の屋敷があったという2説があります。古くは坂の上は東鳥居坂町、鳥居坂町が旧町名で、坂の下は南日ヶ窪町と言われていました。

暗闇坂

鳥居坂からまっすぐ、麻布十番温泉の前を過ぎると、またも、坂道。これが暗闇坂で、人通りが少なく、真っ暗だったという至ってシンプルなネーミングです。左手にはオーストリア大使館があり、今は抜け道として意外に交通量が多い道になっています。

芋洗坂

六本木交差点の角にあるアマンドの脇から麻布十番方面に下る、現在は飲食店が建ち並ぶ坂。かつては道沿いに吉野川という小川があり、坂の名の由来はこの川で芋を洗ったからという今からは信じられないようなもの。麻布十番から芋洗坂を上っていくと、途中で二股に分かれ、右手は饂飩坂という別の坂になります。

麻布七不思議って?

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