2つの川に挟まれた安全な高台に立地、お屋敷を転用した利便施設が点在
広尾は2つの川に挟まれた高台にあります。ひとつは明治通りの南側を、通りと並行するように流れる渋谷川。もうひとつは、根津美術館の池、青山墓地から発し、外苑西通り周辺を流れて、天現寺橋で渋谷川と合流していた笄川(こうがいがわ。天現寺川、龍川、広尾川などという別称も)。笄川は関東大震災の復興事業で暗渠化されていますが、今でも明治通りの南側、外苑西通り周辺は低くなっており、聖心女子大学や広尾ガーデンヒルズ、日本赤十字社医療センターなどは、その背後の高台に位置しています。これは渋谷区広尾側だけでなく、外苑西通りを挟んで反対側の、港区南麻布側も同様。麻布インターナショナルマーケットから住宅街へは南部坂、木下坂などの坂がありますが、それだけの高低差があるわけです。
首都の機能が今よりも東側にあった江戸時代、広尾は江戸の近郊で、今では想像もできないほどのんびりした農村でした。将軍の鷹狩りに用いる鶉を飼育する鶉場があったそうで、八代将軍吉宗の時代には飛鳥山とともに桜楓の類が植えられたものの、うまく生育せず、桜の名所となる計画は挫折。しかし、月見、虫聞き、草摘みの名所として江戸市民に親しまれたと言いますから、昔から風雅な場所だったのでしょう。
郊外とはいえ、甲州街道、大山道、目黒道などの幹線道路に近かったことから、大名の下屋敷などが点在してもいました。明治維新後、こうしたまとまった土地は、宮家や貴族の屋敷などとなり、やがては大学、病院、大使館、公園、図書館などに転用されます。広尾周辺は土地が上手に転用された結果、生活に欠かせない施設が揃い、国際的な雰囲気が漂うまちになったというわけです。
もうひとつ、独特な雰囲気があるのは商店街の奥にある寺町。あの高台の一画には江戸時代、大火によって焼失した寺院が移転してきました。現在は建物が建て込んで分かりにくくなっていますが、渋谷川北側に位置する高台は「ここなら安全」と判断されたのでしょう。
広尾を全国区に押し上げた広尾ガーデンヒルズの現在を見る
広尾が変わる最初のきっかけとなったのは1964年の東京メトロ日比谷線の開業です。とはいえ、1970年代から80年代にかけては、外苑西通り近くに今もその威容を見せる広尾ホームズ、広尾タワーズや有栖川公園近くに点在するホーマットシリーズなどが建てられてはいるものの、まだまだ知る人ぞ知るという街でした。それが大きく注目を集めるようになったのが、現在も広尾の代名詞として知られる広尾ガーデンヒルズの誕生です。
元々は日本赤十字社が所有していた6.6haという広大な高台に全15棟が建てられる都心ではなかなか見られないような規模の住宅開発は話題を呼び、最高抽選倍率200倍超という人気が一躍広尾の名を全国区に押し上げます。当時の分譲坪単価は190~420万円前後でしたが、中古になってからの最高額は2970万円とも言われ、経済状況の特異さを考慮しても、その加熱した人気ぶりが伺えます。
それから29年。いまだに坪500万円は下らないという広尾ガーデンヒルズを訪ねてみました。外苑西通りから坂道を上がって敷地内に入っていくと、そこは緑陰の濃い、静かな別世界。広尾ガーデンヒルズの成功の要因のひとつとして、多くの専門家は駐車場をすべて地下に作り、地上に豊かな緑を配した、優れたランドプランを挙げますが、経年により、その魅力にはますます磨きがかかっています。
また、その植栽の手入れや広大な敷地を常にゴミひとつない状態に保つために、いつも、どこかで誰かが作業をしている風景も、ここならでは。15棟のうち、賃貸専用棟であるM棟の管理を手がける相互住宅マンション事業部の土井安氏によると「広尾ガーデンヒルズは、居住する一人ひとりがより豊かで健全で快適な住環境をめざし、資産向上への高い意識と協調性を持続し、さらに管理組合がそれを支える、「住」・「人」・「緑」・「質」が見事に調和した都心屈指の住まいといえます。また、住空間においては、居住性を最優先とする充実した広さと設備に加え機能とデザインに優れた住戸プランも普遍的な魅力になっています。優れた住環境には自ずと質の高い管理が育ち、その管理が質の高いコミュニティを育て、相乗的に高い価値が自然形成されていく営みがこのマンションにはあるといえます」。そのせいか、一度住んでみたかったというあこがれの気持ちをもって賃貸に入居し、この場所 を離れたくないと、購入を希望するようになる人も少なくないとも聞きました。
ちなみにM棟は広尾ガーデンヒルズ敷地全体の中でも小高い北側ノースヒルに立地しており、中心的な間取りは100m2を超える2LDK・3LDKでカップル、ファミリーが対象。ゆったりとした広さのあるリビングダイニングに加え、法人貸主の強みとなる定期的な更新工事(水廻り等)により新築に劣らない仕様となっているのも魅力です。賃貸を前提にした管理運営が築年をカバーしているといえるでしょう。東日本大震災直後は外国人に関わらず居住者の数は一時的に減少しましたが、希少性のある住環境と管理を支持する需要層により現在は高い入居率を維持していると聞きました。広尾ガーデンヒルズで新たなライフスタイルを手軽に楽しめるという点は、賃貸ならではの特徴であり利点でもあるといえるでしょう。
住宅の選択肢は年々増え、利便性も高まって、より住みやすく
さて、広尾ガーデンヒルズ以降、大きな開発が少なかった広尾に再度注目が集まったのは2009年。日本赤十字社医療センターの建替えと同時に行われた広尾ガーデンフォレストの開発です。ガーデンヒルズから25年後の建築とあって、厳重なセキュリティや広いバルコニーなど、時代の変化、違いを感じる部分はあるものの、ベーシックな居住性能としての両者にはさほど大きな差はなく、逆に地形をうまく利用した緑豊かな環境など、共通性も多数。この土地の歴史、地形などを考えて住居を作ると、効率重視ではない、ゆとりの空間がふさわしいと言う結果になるのかもしれません。
広尾ガーデンフォレスト以降も外苑西通り沿い、南麻布、元麻布など広尾周辺では住宅建設が続いており、ここ30年で供給される物件のバリエーションはずいぶん豊富になりました。商店街では世代交代が進んでおり、今まで少なかったドラッグストアなど日常生活に便利な店などが増え、利便性も向上しています。一方でこの街の静けさ、緑は公園、寺社、大使館、大学などの変わらないものによって保たれており、便利で、静かという暮らしを続けられています。この街が好きという根強いファンがいるのも頷ける話です。
取材物件・取材協力
【取材物件】広尾ガーデンヒルズ、広尾ガーデンフォレスト
【取材協力】相互住宅株式会社