2005年のスタートから20年。TOKYO RENTは2025年に生まれ変わります。2005年には1985年から20年間の高額賃貸住宅の変遷を概観しましたが、今回は2005年からの20年間の移り変わりをエポックメーキングとなった物件を紹介しつつ、ケン・コーポレーション国内部の営業員 林田さんとともに振り返ります。
外国人から日本人富裕層へという大きな流れ
最初にこの20年間の社会、経済と高額賃貸住宅の変化の流れを概観しておきましょう。
「この20年間で非常に大きな変化として挙げられるのは、かつて入居者の7割が外国人だったものが、現在では日本人が8割を占めるまでになっているという点。私たちは当初外国人向けの住宅として高額賃貸住宅を扱い始めました。しかし外国の住まい、暮らしに憧れる日本人がそうした住宅に目を向けるようになり、現在では入居者の多くを占めるようになりました」。
きっかけとなったのは2007年にアメリカのサブプライムローン問題に端を発して起きた世界的な金融危機。2008年9月には投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻、日本にも大きな影響を及ぼしました。
「いわゆるリーマン・ショックで外国人居住者が減少、潮目が大きく変わりました。それ以前の2000年くらいから日本人入居者が増えてきてはいましたが、顕在化したというところでしょうか。2008年頃までの日本人居住者の中心は外資系金融マン、IT系企業のオーナーでしたが、以降、外資系金融企業勤務の入居者は減っていきます」 。
リーマン・ショックからしばらくして起きたのが2011年の東日本大震災。ここで再度空室が目立つようになりますが、それを反転させたのが2012年の第二次安倍内閣の発足。アベノミクスの影響で景気が上がり始め、2013年には56年ぶりの東京五輪開催が決定します。
2019年まではそのまま好景気が続いたものの、2020年のコロナ禍到来で世界は暗い空気に覆われました。この時にも東日本大震災時同様に外国人居住者の退去が目立ちましたが、すぐに日本人居住者がその空室を埋め、高額賃貸住宅の入居率自体は長らく高い水準が維持されています。コロナ禍終焉の現在も不動産の好況はキープされており、過熱との報道もあるほど。不動産価格上昇は東京五輪までという説もありましたが、勢いは現在も止まっていません。
六本木ヒルズの登場が高額賃貸のあり方を変えた
続いてその時々で話題になった物件とともに時代を振り返ります。最初に取り上げるのは六本木ヒルズ(港区六本木6丁目)。誕生したのは2003年ですから、実際には東京レントスタートの2005年以前なのですが、今振り返ってみると六本木ヒルズがその後の高額賃貸住宅や住まいのあり方そのものを大きく変えたことが分かります。
「駅や商業施設と直結した高額賃貸住宅の先駆となったのが、2棟合わせると数百戸規模となる六本木ヒルズレジデンスのB棟、C棟です。それまで高額住宅の代表格が分譲マンションで、1983年に竣工した広尾ガーデンヒルズ(渋谷区広尾4丁目)だったことを考えると違いは一目瞭然。
広尾ガーデンヒルズも駅から5分と便利な立地ですが、一歩入った高台の閑静さが特徴です。それに比べると六本木ヒルズは都市中心部での居住。外国人にとっては当たり前の職住近接が実現されており、それに日本人も追随しました。
現在、高額賃貸住宅に限らず、住まい選びでは利便性が優先されるようになっていますが、その流れを作ったのが六本木ヒルズだったとも言えます」。
六本木ヒルズには、車寄せやコンシェルジュ、警備員の配置、ゲストルーム、スパなど、入居者の快適性と安全性に寄与する設備が整備されました。さらに、通勤不要で生まれた時間を楽しむためのホテル、クラブ、映画館、美術館その他のさまざまな施設や高いデザイン性などが一世を風靡。実用を兼ねるものも含めて随所に設置されたオブジェや豊かな緑は今の多くの再開発に受け継がれています。
北の丸では入居者の大半が日本人
六本木ヒルズはまた日本人の高額賃貸入居者の存在を社会に知らしめたものでもありました。IT業界を中心に有名人の入居者が少なくなかったため、「ヒルズ族」いう言葉が生まれたのもこの頃です。
「当時、日本人で100万円を超える部屋を借りる人がいるのかという疑問の声もありましたが、六本木ヒルズ以降、日本人入居者は徐々に増え、2006年に竣工した北の丸スクエア ザ・テラス(千代田区九段北1丁目)は全122戸の大半が日本人入居者でした」 。
同物件はオフィスの上に住宅が設けられており、当時としては複合用途の建物自体が珍しいタイプでした。その後、特に高層建築では当たり前になり、現在ではオフィスと住宅の組み合わせはごく一般的にものになりました。
ホテルと連携する住宅も登場、六本木は住む街へ
2007年は高額賃貸の供給が増えた時代でした。その代表格が東京ミッドタウン(港区赤坂9丁目)内の住宅。ここには全166戸の東京ミッドタウン・レジデンシィズ、全244戸のザ・パーク・レジデンシィズ・アット・ザ・リッツ・カールトン東京があるのですが、これまでになかった特徴はホテルとの連携。
「六本木ヒルズ内にもホテルはありましたが、サービスは切り離されていました。ところが東京ミッドタウンではサービスが一体化されており、これが大きな特徴となっています。また、ヴァレーサービスを導入したのもほぼ初めてのケースではないでしょうか」。
この年に物件が急激に増えたのには背景があります。2000年に不動産証券化が始まり、REITも上場。不動産に投資する人が増え、賃貸マンションが大量に建てられるようになったためです。その結果、100万円クラスの住宅も一気に増えました。
六本木ヒルズ、東京ミッドタウンと相次いだ大型物件の登場が六本木を住む街に変えた点も言及しておきたいところです。
高額賃貸初心者への窓口となった芝浦
湾岸エリアでタワーマンション増加の口火を切ったのが芝浦アイランド(港区芝浦4丁目)です。2007年に全871戸の芝浦アイランドエアタワー、2008年に全964戸の芝浦アイランドブルームタワーが相次いで誕生していますが、「この2棟が高額賃貸住宅初心者への窓口となり、日本人の高額賃貸住宅入居者増加に大きく寄与しました」。
というのも、間取りが1Kから4LDKまで、賃料が15万円から200万円までと、選択の幅が非常に広かったため。
「ここで高額賃貸住宅に触れ、その後、敷地内で移動、やがて都心部の他物件へとステップアップしていった々が多くいます。それまでは単身者向けのハイグレードで宅配ボックスやコンシェルジュのいるような物件が少なかったため、住みたくても住めない状態が続いていましたが、芝浦アイランドが単身者向けでありながら20万円前後という新たな市場を生みました」 。
それまで高額賃貸住宅の立地とは認識されていなかった芝浦ですが、品川や東京をはじめとした都心部、首都高速、羽田空港へのアクセスの良さ、富士山や海が見える眺望、生活利便性その他が人気を呼び、ほぼ日本人だけでこれだけの戸数が埋まりました。
「都心部に近いセカンドハウスとして、あるいはBCP対策で地方の企業が東京にも拠点をという借り方もあり、広い地域からの入居者も特徴です」。
また、クラブハウスやシアタールーム、スタディルーム、パーティールームや音楽室などといった充実した共用施設も注目されました。規模のある物件ならではの魅力のひとつといえるでしょう。
後編では2011年の東日本大震災以降の変化を見て行きます。
2025年1月22日、「TOKYO RENT」ブランドリニューアル!
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