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TokyoRentコラム

Vol.13 地名で読む街の歴史 【白金編】 2006/09/21

江戸情緒と今どきハイセンスが混じりあう街

平成12年の都営地下鉄大江戸線、東京メトロ南北線の開業まで、都心近くにありながら、いまひとつ、開発が遅れていた白金周辺。江戸時代初期には白金原などと呼ばれた原野でしたが、その後、高台には大名の下屋敷が多く建てられるようになり、また、江戸城の拡張工事で八丁堀周辺から寺院が移転、今にその情緒を伝えています。反面、白金北里通りなど、坂の下に当たる場所には昔ながらの商店街が並び、庶民的な雰囲気も。 最近では通称プラチナストリートとも呼ばれる外苑西通りを中心に、ブティックやレストランなどが建ち並び、女性を中心に住んでみたい、憧れの場所のひとつに。国立自然教育園や東京都庭園美術館など、緑の豊富な環境も魅力のひとつです。

白金周辺マップ

短冊をクリックすると詳細がご覧になります。

東京都庭園美術館 国立自然教育園 日吉坂・桑原坂 八芳園 明治学院大学 都ホテル 清正公前 魚籃坂 三光坂 白金

赤色の短冊をクリックすると地名の由来、緑色の短冊をクリックすると場所の由来についての詳細がご覧になれます。

白金

1400年以前に、この地を開いた富裕の豪族、柳下上総介が大量の銀(しろかね)を所有していたことから、銀長者が変じて白金長者と呼ばれており、それが変じて地名になったと伝えられています。この白金長者の住まいがあったとされるのが、現在、白金台5丁目にある国立自然教育園あたり。園内には周囲を囲むような平安時代から室町時代のものと推測される土塁が残され、長者の館を外敵や野火から守っていたとされています。白金台はこのうちの高台にあたる地域です。
かつてのこの地には白金今里町、白金猿町、白金三光町、白金志田町、白金丹波町などの村がありましたが、現在は三光坂、三光小学校、志田町保育園などにその名残があるばかりです。
ちなみに香川県坂出市には白金町、東京都新宿区には白銀町、北海道には白金温泉など、いくつか、しろがねと読む地名がありますが、こちらはしろかね。濁りません。

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三光坂

白金2丁目、4丁目の境となっている坂。旧白金三光町内にあり、明治時代には三鈷坂(さんこざか)、それ以前は三葉坂と呼ばれていました。これは坂の下にある専心寺に三葉の松があり、これが鈷(こ。武具・もりが変じて、密教の仏具となったもの。両端が一つのもの、三つのもの、5つのものなどといくつかのタイプがある)の三又に似ていることから三鈷松となり、さらに転じて三光となったと伝えられています。

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魚籃坂

三田3丁目と高輪1丁目の間にある坂。坂の北側に魚籃観世音で信仰を集めた魚籃寺があったことから付けられた地名です。この、魚籃観世音菩薩は、頭髪を唐様(からよう。中国風)の髷(まげ)に結った美しい乙女の姿で、中国の唐の時代に仏が仏教を広めるため、美しい乙女の姿で現れ、竹かごに入れた魚を売り歩いたという故事に基づいたもの。その観音様は左手に羽衣を、右手に魚の入った籃を持って、安置されています。
この寺は園芸ブームだった江戸時代に流行した変化朝顔の展示会の会場としても有名で、毎年8月後半の3日間の午前中には、愛好家が集まります。

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清正公前

目黒通りは、桜田通りの清正公前の交差点から始まります。この清正公とは、朝鮮出兵で有名な武将、加藤清正のことで、交差点脇にある覚林寺に清正が祭られていることに因みます。ここは、もともと、熊本藩の中屋敷だった場所。現在は本堂にかけられた額の「破魔軍」の勝利祈願が転じて、受験などの勝負に勝つご利益があるとされています。そのため、毎年5月4、5、6日に開かれる清正公祭りで頒布される勝守(かちまもり)は勝負に勝ちたいギャンブラーや政治家などに人気。また、港区から目黒区にかけて、点在する山手七福神のひとつでもあり、ここには毘沙門天が飾られています。

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日吉坂・桑原坂

目黒通りの、八芳園脇から清正公前に向かう坂。能役者日喜喜兵衛が近くに住んでいたためと伝えられています。ちなみに、目黒通りの日吉坂上から八芳園の前を通って明治学院大学に下る坂は桑原坂で白金台1丁目と3丁目の境になります。

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あの場所の由来は?

清正公前の覚林寺が元熊本藩中屋敷だったなど、この地には元○○だったという場所が多く残されています。 主なものを挙げてみると……。

東京都庭園美術館

1920年代から1930年代にかけてヨーロッパを席巻したアール・デコ様式で知られる東京都庭園美術館は元朝香宮(あさかのみや)邸(朝香宮は久邇宮第8王子、妃殿下は明治天皇第8皇女)。戦後の一時期は外務大臣や首相の公邸、国の迎賓館などとしても使われてきましたが、1983年に美術館となりました。

東京都庭園美術館のページはこちら

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国立自然教育園

白金の地名の由来となった豪族の館跡地と言われ、江戸時代は高松藩主松平頼重の下屋敷。明治時代には火薬庫となり、1917年からは皇室の御料地となり、 1949年に天然記念物および史跡に指定されるとともに一般公開されました。広さは約20ha、武蔵野の面影を残す湧水地、湿地などが残された、都心とは思えない自然の宝庫です。

国立自然教育園のページはこちら

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八芳園

昭和18年に開業した八芳園は1万5000坪もの日本庭園を有す、隠れた夜桜の名所。徳川家康に仕え、天下のご意見番と言われた大久保彦左衛門が余生を送った地とされ、江戸時代には薩摩藩、島津藩などの下屋敷として使われ、明治時代に渋沢栄一の所有を経て、大正時代には政財界の大立者として知られた久原房之助の別荘となりました。九原が各地から名木、名石を集めて作った庭園は現在、施設利用者を対象に公開されています。

八芳園のページはこちら

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明治学院大学内白金海軍墓地跡

元は信州松本藩松平家の下屋敷。明治初期に海軍の葬祭地になり、大正末以降、明治学院大学の敷地となったとされています。日清・日露戦争の犠牲者を祭り、桜田通りに面した場所にありますが、現在は中に入ることはできません。
また、明治学院大学内には港区や国の重要文化財などに指定された、明治時代、大正時代の3棟の洋風建築が残されており、見学もできます。

明治学院大学のページはこちら

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都ホテル

昭和の政治家、藤山愛一郎の邸宅跡。ここにはかつて三大大名屋敷門と呼ばれた見事な門があったそうですが、今は千葉県九十九里の山脇学園松籟荘で保存されています。

都ホテルのページはこちら

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【文・構成】
中川寛子(なかがわひろこ)
借りる、買う、貸す、建てるなど、住まいに関する雑誌、書籍、インターネットなどの編集に携わること20数年。
長らく表参道に暮らし、都心居住の快適さを身をもって実感している。All About「住みやすい街選び(首都圏)」ガイド。

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